『夢を与える』 綿矢りさ
■短評
夕子は子供の頃からモデルとして芸能界で仕事をしながら成長していく。
芸能界には染まらず自分を保っていたつもりが、ブレイクをきっかけにバランスを
失い自分が制御できなくなる。そのバランスを取り戻す間もなく行き着く先まで
突き進んでいく様を、抑制の効いた文体で綴る長編小説。
芥川賞受賞後の長編小説一作目。
急き立てられるような文章のリズム、静かだがリアルな男子の描写などは
相変わらず素晴らしいが、それらが作品全体の印象に結びつかない。
冗長な構成、大事なところで大きく乱れる文章、まとまらないラスト、
と整理されないままに出てきた印象が強い。
■読んだ動機
綿矢りさの作品はデビュー作から「文藝」誌上で読んでいた。
最近は文庫版『インストール』に収録された書き下ろしの短編を読んだ。
この『夢を与える』も「文藝」に掲載されていたらしいが、
今は文藝を買ってないので、読んでいなかった。
単行本が出て、やっぱりチェックしておかねば、と思い購入。
■ジャンル
芥川賞受賞後の第一作目長編小説。
19歳で芥川賞を取って以来、常に注目される文学界のアイドル的な存在の著者は、
新作が出ると、本人の意志や力量に関係なく必ず話題が先行してしまう。
話題の作家の話題の新作。
ベタな響きだけどすごく期待されてしまうジャンルだ。
■読みどころ
一つめの美点はリズム。
淡々とした描写が続き、次を求めるように読み進めてしまうからか、
綿矢りさの文章には急き立てられるようなリズムがある。
そのリズムは彼女の作品に共通する特徴で、三人称での語りになっても健在。
もう一つは、
主人公が成長する過程で出会う何人かの男性(男子)に対する描写。
これがこの作品の最大の美点だろう。
芸能界という大人の世界に身を置いても、
自分はそこに染まっていないと確認しながら生きている主人公だが、
実際には大人の世界にも染まることができず、かといって、
同世代の友達と生きた時間を持つこともできなかった、いびつな人間になってしまう。
その過程で唯一年齢なりの感覚をもたらしてくれる同世代の男性とのやりとりは
それほど積極的な行動ではないが、主人公の女のコとしての行動であり、
無自覚なまま自分を取り戻している瞬間だ。
作品を通して3人の男子が登場するが、成長するごとに
出会った男子との距離がまともに取れない女のコになっていく。
ラストの前に最初に恋心を抱いたタマに会いに行こうとするのは
まだ普通の女のコとして男子に接することのできた時代を取り戻したいという
潜在的な切ない望みが現れている。
この作品のいちばんの読みどころはそこのはずなのだが…
構成上はあまり重視されていない。
ここを際立たせるための構成であって欲しかった。
■こんな人にオススメ
綿矢りさのファンは読んでください。
これまでの著作を読んでて、これから先どうなっていくのかを感じておきたい人、
先行投資の感覚で、この作品の先には傑作があると信じて買ってください。
この人の本を初めて読むのならオススメしません。
『インストール』からどうぞ。
『インストール』の書評
■コキ下ろしてみる
今作はこれまでにない新たな試みがいくつも盛り込まれている。
・これまで作品は個人的な出来事をテーマとして扱ったが、
社会を巻き込んだ出来事を扱ったこと
・18年以上にわたる時間経過の表現
・視点の移動する三人称の文体
これらがどれも効果的でなかった。
主人公 夕子は
芸能界や学校、家族、どこの”社会”にも居場所がなく、
気になる男子(つまり”個人”)ともうまくコミュニケーションできない。
夕子がどこにも居場所を見つけられないまま育っていく様が淡々と描かれているが、
”社会”と”個人”のうち、”社会”に適応できないほうに重点を置いたことが、
この作品をあやふやな印象にしたいちばんの原因だろう。
”社会”と”個人”。この二つの流れは密接に関係しながら物語は展開するのだが、
主人公の生まれる前の家庭(=社会)のエピソードから始まり、
スキャンダルを認め、芸能界(=社会)から無理矢理に逃げ出すところで終わる、
そんな構成になっているのでもわかるように、
”社会”的な動きが”主”で、”個人”としての男子との出会いは”従”になっている。
だが、最も光ったのは、ラストの少し前でタマ(=普通の女のコとしての自分)を
求めてしまうけれど、それはもう取り戻せないモノだと思い知らされる場面だろう。
ここが”個人”として自分がダメになったのを自覚するシーンだ。
この、ラストシーンになり得る、最も重要な部分が、軽く流されているのだ。
で、”社会”を省みない行動が破滅を招いてしまったと自覚してしまうシーンが
クライマックスのシーンになっている
最高の場面をスルーしておいて、
「お利口さんにしとけば良かった」程度のシーンで盛り上げようとしても
無理矢理な感じがして盛り上がれません。
テーマ設定のミスからくる、マズい構成。これが今作最大の失敗でしょう。
作中では、主人公が自分の心に気づけず、芸能界に振り回されて自滅するのだが、
作品の構成も、主人公の心の機微にフォーカスを当てず、
芸能界スキャンダルの顛末を書ききることに振り回されている。
かなりよくできた相似形なのだが、
そんな二重構造は求めてない。
綿矢りさは、思わぬところに感情の引っかかりを見いだし、
それを見事にかたちにしてしまう、類稀な才能の持ち主だ。
今作はその能力の片鱗を見せつけながら、うまくカタチになっていない。
結果、消化不良な読後感が残ってしまった。
視点の移り変わる三人称で書かれた文章にも疑問を感じる。
そもそも、この作品、三人称である必要はなかった。
三人称の作品であるために、不要なモノをどんどんと付け足した。
そんな印象だ。
主人公が生まれる前の母親の視点から始まるが、
大事なところでこの視点がもう一度復活するなどの仕掛けはなく、
ただ冒頭の数%が主人公の母親視点だったってだけで終わってしまう。
主人公の心の動きをテーマに据えれば、主人公の自我が生まれてから
話をスタートさせて母親の視点は必要なかった。
さらに、ラストの直前に数回だけ「私」という一人称が出てくる。
それまで注意深く避けていた一人称がひょっこりと顔を出すのだ。
一人称で自分の境遇を憐れんだりするのだが、せっかくここまで引っ張った一人称だが
読んでいて引き込まれる男子との”個人”的な話ではなく、
”社会”へ適応できていないことへの反省としてに書かれても
肩すかしをくったようにしか感じられず、まったく効果的ではなかった。
今頃一人称かよ、ってツッコミを入れながら読むから、むしろ気が散って邪魔だった。
オマケに、その一人称の一文が単行本の帯に使われている。
確かに一人称の文章は過去二作で築かれた綿矢のイメージに近いのだが、
作品を読めば、この帯が、テーマにも、流れにも合っていない一文だとわかる。
なのに、あえてその一文を帯に使うのは、
過去のイメージで強引に売ってしまえという出版社側の確信犯だろう。
綿矢りさは、もう過去の遺産でしか売れない作家の扱いなのか。と心配になった。
それとも、一般的には、あのシーンが最大の見せ場だと捉えられているのだろうか。
■他の作品
インストール
『インストール』の書評
を見てください。
文庫化されているし、こちらはオススメです。
蹴りたい背中
こちらもオススメ。芥川賞受賞作。
テイストは『インストール』と似ている。
男のコの描写が秀逸。
その背中をけっ飛ばす女のコの「頭のおかしい」行動を
すんなりと受け入れさせる女のコの描写もまたすばらしい。
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